私の妹がまだ存在しなかった頃、私は「幽霊」の存在を見たこともないのに恐れていた。
いや、見たことなかったからかもしれない。
当時、私の家の隣には母方の祖父母が住んでおり、よく1人で泊まりに行った。
夜、トイレに行く時がすごく怖かった。平家の小さな家だったのに、すごく怖くて、祖母に付き添ってもらっていた。
廊下で、祖母が「もしお化けがでたらばあちゃんが追い払うけん大丈夫」と私を宥めるので、「なんて言うと?」と聞き返すと「帰れって言う」だかなんだか忘れたが適当なことを言われた。そんな適当な言葉でも、4歳児が納得するには十分だった。私は可愛い可愛いピュアっ子ガールだったので、それから6年生くらいまでずっと祖母には霊的なものを追い払う力があるのだと思っていた。
私が中学生の頃、母がオカルト漫画にハマり、私も読むようになった。私もオカルトが好きになった。でも、好きすぎて信じられなくなった。
私はゴロゴロぐーたら人間なので、二十余年ほど暇を持て余して生きてきた。
時間にも脳みそにも余裕があるので、いろんなことについてあれこれ妄想してしまう。
幽霊の存在や死後の世界、宗教など、詳しくなった結果、存在を信じるようになった。
信じすぎた結果、信じなくなった。
神様にお願いが出来なくなった。
私は、神様とか宗教も好きなので、神社やお寺に行くのも好きだ。好きだけど、お参りでお願い事は出来ない。神様だからといって、無料でお願い事を叶えてくれるなんておかしいのではないかと思うようになったからだ。え?お賽銭?5円で家族の健康を??
なので、私は「お世話になっております。」などと挨拶だけをしている。これが正しいかは知らないけど。
お守りも買えない。存在が重いからだ。翌年に返しに行ける確証もないし、とにかく私には重すぎる。この小さな袋に全てかけて受験するのもどうかと思うし。結局は自分の力なので、「神様も私のこと応援しててください」くらいしか言わない。親に「応援しててね」って言うような感覚。
京都にある金閣寺に行くと入場券の代わりに「お札」をくれるが、あれが私はすごく嫌で、だって捨てられないから。神棚だったかに置くと良いらしいが、来年返すのが大変だし毎年新年は京都旅行になっちゃう。普通は捨てちゃうんだろうし私も結局は捨てたけど、ああいうのすごく苦手。
多分私は、形に意味を求めるタイプ。
ピュアっ子リナちゃん、生き霊とかも飛ばせそう。
夏だし。
ばいばい