憧れの存在

憧れって妬みの裏にある気がします。

 

私は人のものが良く見えるタイプの人間です。

他人と同じものは嫌いなはずなのに、誰かが持ってて「いいな」と思ったら私も同じものを買っちゃう。

 

ものに限らず、感性とか環境とか、隣の芝生がめちゃくちゃ青く見えます。

 

 

高校の時、同じ名前の同級生がいました。

 

嫌いではなかったし、そもそもたまに喋るくらいの仲だったんだけど、

私と同じ名前で背格好も似ているのに、私と違って先輩後輩同級生先生、たくさんの人に慕われてることが羨ましかったし、みんなからの評価が「よく考える人」だったのが本当は凄く嫌だった...。

 

私の方がよく考える人なのになってずっと思ってた。

 

私とよく話す友達は私に対して「よく考えてるね」って言ってくれてたけど、多分投票取ったら私は負けるだろうなと思うくらい、彼女に対する評価は高かった。

 

別に「よく考える人」に優劣なんてないし、ディベートするわけでもないからそんなのどうでもいいのに、当時はめちゃくちゃ気にしてて、「私の方が考えてんのになんで彼女の方がそういう評価なんだろ」って不満だった。

 

 

高3の時は、私が行きたかった京都に進学することを知って、余計に妬ましく思うようになった。

妬ましかったから、京都のおすすめの本屋さんとかを聞かれてもないのに教えたりしてた。私の方が京都好きなんだからねって、そんなの向こうからしたら意に介さない感じ。だって京都が好きで行くわけじゃない(その大学に行きたくて行くから)し、私のことを相手にしてないから。

 

大学生になった後も、私は彼女のTwitterアカウントを探しまくって、フォローはせずに遠巻きにツイートを見てた。

 

Twitterで検索をかけながら「あ、私って彼女のことをこんなに羨んでたんだ」ってはじめて気づいた。

 

 

でも、私が大学3年生くらいになってからはその子に対する興味がなくなった。というか存在を思い出さなくなった。

 

憧れって、上を見上げた時に思う感情だと思うんですけど、よくよく考えたら私は彼女の下にいないと気づいたんだと思う。もちろん彼女も私の下にはいなかった。

元から横並びだった。

 

私が勝手に、彼女の置かれてる環境や感性を羨んで、妬ましがって、ライバル視して、そうなりたいと思い込んでた。

彼女にも、自分の嫌なところだってあるだろうし、しんどいことだってあっただろうに。

 

いいなと思うことは悪くないんだけど、方向がねじ曲がってた。

私の憧れっていつもそう、ねじ曲がってる。

憧れると、その通りコピーしないと憧れの存在に近づけないと思ってしまう。

 

 

憧れとはとおーくをみて、あの人のあの部分っていいな、くらいのゆるい憧れじゃないと、妬みになっちゃうなって思う。

存在丸々ひっくるめて「いいな」と思うのは危険。

 

私の場合はそうだった。

私の自己肯定感の低さとプライドの高さは、憧れという気持ちとの相性が悪いらしい。

 

 

彼女は元気だろうか。

 

 

 

今となっては、そう思うだけ。

 

 

ばいばい