夢を夢だと気づけるのが大人。

絵本が好きなので、この間よしくんが絵本屋さんに連れて行ってくれました。

 

そして、せっかくなので、読んだことがなくて気になった本を一冊ずつ買ってみることにしました。

 

よしくんがこれ。

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私がこれ。

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各々で保管すると思っていたのに、「絵本はリナちゃんの担当だから」と意味不明なことを言われたので私が2冊とも持っているのですが、帰宅後、ママに絵本を見せながら事の説明をしたところ、

 

 

とらの話はよく分かんない。よしくんは中身のある本を買ってる、あんたも見習った方がいい

 

的なことを言われました。

 

ママが言うには、ハーメルンは有名な童話で伝えたいことがある話だけど、とらの絵本は何が言いたいのか分からない、だそうで。

 

私は自分がとってもいい絵本を買ったと思っていたのでムッとしました。

 

だって、このとらの絵本は調べたところによると、イギリスで映像化されてNHKでも放送されたみたいだし、無印のカフェにも置いてあったのをみたし、なんならこの絵本を買ったお店で「いい本ばかり選ばれましたね」って言われたから。

 

ムッとしたので「ママにこんなこと言われた」とよしくんに話してみたのですが、するとある本の文面が送られてきました。

よしくんが同じお店で買った本で、絵本についてを語っている対談集なんですが、その部分を読むだけでも面白いなと思えました。タイトル忘れたので聞いておきます。

 

 

その写真がこれ。

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最初、よしくんはママを批判してるのかと思ったのですが、私のことを擁護するために送ってくれたらしいです。

 

 

以下内容について。

 

おとなは抽象的なものを理解するのが難しいというところ、面白い考え方だと思います。

 

私は、人はある程度歳を重ねると精神年齢が止まると思っていて、止まるというのはつまり「考え方が固定化される」「他の考え方を受け入れにくくなる」と思っているのですが、抽象的なものを理解できなくなるというのもこれと同義なのかなと思います。

「これはそういうものなのか」と受け止めにくくなる、っていうんですかね。

 

例えば、明晰夢ってありますよね。

夢を夢だと自覚することをいうのですが、子供ってこれができないと思うんです。いやもちろん子供でも明晰夢を見た人はいると思うんですが、ここでの子供とは純粋というような意味合いです。スッと受け入れられる純粋な人のこと。

子供(純粋な人)は、絵本の世界を受け入れられるから、明晰夢を見れないんじゃないかな。

 

絵本の世界と夢の世界って同じものさしな気がする。

 

 

私、明晰夢を見たことがないんです。

どんだけおかしな展開の夢であっても、それを受け入れてしまうんです。例えどんなにこわい夢を見ても、目が覚めた後にしか夢だと気づけません。

私はきっと、ある意味子供で、なんでも「そうなんだ」と受け入れてしまうんだと思います。

 

きっとそれは大事な感性であって、誰しもが持っている(持っていた)感覚なんだと思います。(いつか詐欺に遭いそうだけど)

 

この感覚ってもしかしたら絵本で身につけていたのかもしれない。絵本って、変なお話が多いんですよね。それが私は凄く好きなんですけど。

 

 

ママに明晰夢って見たことある?と聞いたところ、「あるよ」と言われました。きっと、ママは沢山頑張って生きてきたから、大人になった(なってしまった?)んだと思います。

 

大人の感覚も、子供の感覚も、両方必要だから、私は絵本も読むし勉強もするし日々考える。

 

 

 

 

なんつってー!!!!

 

下の歯がぐらぐらしてた

 

下の歯がぐらぐらしてた。

 

下の歯がぐらぐらしてたので、舌で触って気にしていたら、触ったからか元々やばかったのか、ぽろっと1本取れてしまった。

 

しっかりした歯だった。奥歯の1本手前くらいの歯だったので、四角のしっかりどっしりした歯だった。

 

結構ショックだったけど、私は顎が小さく歯並びが悪いのを気にしていたので、この機会に歯が綺麗に並ぶかもしれないと思いつつ、近くにいた祖母や母に「歯が取れた」と話した。(でもやっぱり内心は泣いてたし焦ってた)

 

すると、上の歯(前歯の横)がぐらぐらし始めた。

 

 

そういえば、全部の歯が浮いてぐらぐらしている気がする。

 

病気かもしれない、歯周病か何か別の病気か。

 

さすがに今度は泣きながら母に助けを求めると、たまたま通りかかった女の人が歯科の先生だったらしく、助手を2人連れて私に話しかけてきた。

 

なぜかここは教室だったので、その先生が黒板を使いながら私の口内の状況を教えてくれた。

 

先生は普段歯医者で働いているのではなく、口腔内の研究をしている大学の教授だった。

 

それを聞いて少し不安になった。普段治療をしている先生に診てもらった方が安心する気がする。

 

「なにを食べたか教えてもらえますか?」

 

そう言われたので、前の日の夜ご飯を伝えた。

 

すると、先生が「別の原因がある気がするんですがねぇ」と言いながら、教室をぐるぐる回っていた。

 

教卓の横の棚にある赤い液体が入った瓶を見つけた。

 

「これ飲みました?」先生が聞いてきた。

 

「あ、1杯だけ飲みました。普通の甘いシロップです、水で薄めて飲みました。」

 

どこで買ったとか貰ったとか全く覚えていなかったが、事が起きる少し前に私は飲んでいた気がする。

 

先生が「これが原因ですね。これに使われている薬草は歯を溶かします。これから時間をかけて全部の歯が抜けていくでしょうね」

 

 

わんわん泣いた。

 

「私がどうにか頑張ってみます。でも、ここには治す道具やベッドがないので移動しましょう。」

 

でも、そうしている間にも歯はだんだん浮いてくるし痛痒いような感覚で気持ちが悪く、不安はますます募る。

 

「先生、でも残りの歯が取れそうです」

 

「食いしばって。タオルを噛んでこれ以上浮かないようにしていてください。」

 

私は、先生の助手の1人から白いタオルを受け取り一生懸命噛んだ。でも、気が動転しているからか噛めているのかも自分では分からなくて、祖母に噛めているかをいちいち確認していた。

 

 

という夢を見た。

まじで怖かった。多分すごい食いしばってたし歯軋りしてたと思う。最悪。

 

 

ばいばい

 

 

 

トークティブマイノリティー

 

私は、「じゃない方」を選びがちです。

 

例えば、流行の歌手の曲は聴きません。流行りの服は着ません。人と同じ行動はしたくありません。

 

これは保育園の頃からそうでした。卒園記念に園から記念品として傘をもらえるということで、ピンク・青・黄から選ぶように言われたとき、私は黄を選びました。誰も選ばなかったからです。女の子はピンク、男の子は青を選んでいたので、私は黄色一択でした。

 

小学生の頃、習字道具も裁縫道具も彫刻刀もみんなが選ばなさそうなものを選んでいました。

家庭科の授業で作ったエプロンやナップサックもそうです。

 

中学生の時は、同級生が誰も受験しない遠い高校を受験しました。

 

 

高校生の時、この頃は、クラスメイトが個人の趣味や時間を大切に出来る人達だったので、「人と違うこと」というのを意識することはあまりなかったです。でも、考え方の捻れが酷くなったのはこの頃な気がする。

 

 

大学では、これまでの価値観が仇となり、友達ができませんでした。協調性が欠乏しているからです。「はみ出し者が集まるコミュニティ」と言われていた落研すら辞めちゃうくらいの無さ。

 

 

本当によくない。

 

 

そもそも、私がこうやって逆張りをするのは、人からの自分というのを気にしすぎているからだと思います。私が逆張りをすることで、私は人と違うのだと保険をかけられるんです。「あ、私って、ちょっと人と違うじゃないですか〜、だからあんまり好かれないんですよね〜」

 

 

私は、捻くれてなくてマウント取らなくて情緒が安定した可愛らしい女性になりたいんです。

皮肉なことばかり言って詭弁たらたらな女で生きていけますか。生きられません。

 

 

私は、丸い女になるんです。

 

 

この世の女性の大半がこちら側にくれば私がそちら側に行くのに。

 

 

もし私が逆張りをやめたなら、内定の1つや2つ余裕で勝ち取っていただろうし、ラインの友達欄は100人なんて余裕だし、なんなら「ラインの返信するのめんどくさくない?」とか言っちゃうくらいに人と会話していたことでしょう。

 

 

私が就活を辞めたのも、無意識の逆張りだったのでは?

 

 

 

みんなが就活をやめますように。

 

 

ばいばい

 

 

 

 

生き霊飛ばしちゃいそう。

 

私の妹がまだ存在しなかった頃、私は「幽霊」の存在を見たこともないのに恐れていた。

いや、見たことなかったからかもしれない。

当時、私の家の隣には母方の祖父母が住んでおり、よく1人で泊まりに行った。

 

夜、トイレに行く時がすごく怖かった。平家の小さな家だったのに、すごく怖くて、祖母に付き添ってもらっていた。

 

廊下で、祖母が「もしお化けがでたらばあちゃんが追い払うけん大丈夫」と私を宥めるので、「なんて言うと?」と聞き返すと「帰れって言う」だかなんだか忘れたが適当なことを言われた。そんな適当な言葉でも、4歳児が納得するには十分だった。私は可愛い可愛いピュアっ子ガールだったので、それから6年生くらいまでずっと祖母には霊的なものを追い払う力があるのだと思っていた。

 

 

 

私が中学生の頃、母がオカルト漫画にハマり、私も読むようになった。私もオカルトが好きになった。でも、好きすぎて信じられなくなった。

私はゴロゴロぐーたら人間なので、二十余年ほど暇を持て余して生きてきた。

時間にも脳みそにも余裕があるので、いろんなことについてあれこれ妄想してしまう。

幽霊の存在や死後の世界、宗教など、詳しくなった結果、存在を信じるようになった。

 

 

 

信じすぎた結果、信じなくなった。

 

 

 

神様にお願いが出来なくなった。

 

 

 

私は、神様とか宗教も好きなので、神社やお寺に行くのも好きだ。好きだけど、お参りでお願い事は出来ない。神様だからといって、無料でお願い事を叶えてくれるなんておかしいのではないかと思うようになったからだ。え?お賽銭?5円で家族の健康を??

 

なので、私は「お世話になっております。」などと挨拶だけをしている。これが正しいかは知らないけど。

 

 

お守りも買えない。存在が重いからだ。翌年に返しに行ける確証もないし、とにかく私には重すぎる。この小さな袋に全てかけて受験するのもどうかと思うし。結局は自分の力なので、「神様も私のこと応援しててください」くらいしか言わない。親に「応援しててね」って言うような感覚。

 

 

京都にある金閣寺に行くと入場券の代わりに「お札」をくれるが、あれが私はすごく嫌で、だって捨てられないから。神棚だったかに置くと良いらしいが、来年返すのが大変だし毎年新年は京都旅行になっちゃう。普通は捨てちゃうんだろうし私も結局は捨てたけど、ああいうのすごく苦手。

 

 

 

多分私は、形に意味を求めるタイプ。

 

 

 

 

ピュアっ子リナちゃん、生き霊とかも飛ばせそう。

 

 

 

夏だし。

 

 

 

 

ばいばい

 

 

 

 

 

 

 

みんな久しぶり、元気してた?

 

みんな久しぶり、元気してた?

 

突然なんやけど、今度の日曜ご飯にでも行かない?

 

車は私が出すからさ。

 

 

ていうか、連絡するのも久しぶりだよね。

 

 

懐かしいね。

 

 

 

と、言えたらいいなと思う。

 

 

 

でも私は環境が変わってしまうと、毎日会っていた人とすら、(というよりむしろその方が)連絡するのが怖くなってしまう。

 

 

本当は当時から私のことが嫌いで、離れた今は清々してるんじゃないだろうか。

 

 

それに、もし婉曲的に断られたら色々勘繰ってしまうし、それなら最初から声をかけない方が良いかもしれない。

 

 

そんなことを考えてしまって、私は旧友に話しかけられない。

 

 

でもふと急に、「そういえばこの間ね、」なんて取り止めもない連絡をしてジャブを打ってみたりする。

 

 

私は人に嫌われるのが怖い。

 

 

いや、というよりも、人から見た自分そのものがこわい。どう見られていたとしても怖い。

 

 

 

こんな記事を書くせいでこれを見た私の友達が「私から連絡をしてあげた方がいいのか?」なんて思って欲しくはない。

 

 

だって、「私は自分から連絡をするのが苦手なタイプなのでそちらから誘ってください」なんて虫が良すぎる。

 

 

よく自己紹介の場で「気軽に話しかけてください」とか言いやがる人がいるが、虫が良すぎるだろ、と私は思う。思ってしまう。

 

 

気軽に話しかけてくださいなんて言えるか?

ノーリスクで仲良くしようなんて、甘いぜ。

 

 

 

話しかけろよ。

 

 

 

話しかけろ、私。

 

 

みんな絶対優しいから。

 

 

 

 

なんだか最近小中高大の旧友みんなに会いたい。

 

 

 

 

私は懐古虫。

 

 

 

 

 

ブーン

孤独なカメムシ女

 

 

 

小学3年生の時に一輪車が流行って、毎日お昼休みに友達6、7人くらいで一輪車をしてた時期がありました。

 

 

一輪車なので校庭でやるんですけど、

 

 

 

一輪車で遊んでる時に私の肩あたりにカメムシがくっついた事がありまして、

 

 

 

周りの友達がわー!っとびっくりして騒然となったことがあったんです。

 

 

たまたま、遊んでいた校庭の向かいに職員室があったので、先生に助けを求めました。

 

 

 

あ、そうそう、しかもそのカメムシ私の制服の中にどんどん入っていっちゃって、

 

 

先生が服の中に手を入れてくれて、カメムシを刺激しないようにそっと取ってくれたんです。

 

 

でも、友達はその間私から距離を置いていて、先生がいなければ取ってくれる人はいなかったんだろうなと思います。

 

 

カメムシの臭いが嫌な気持ちは私も分かるので仕方ないのですが、やっぱりショックじゃないですか。

 

 

 

なので、この後から「同じような思いをなるべく友達にさせないようにしたいな」と思ったんです。

 

 

 

いや、その時意識的に思ったわけではないので嘘なんですが、今思い返してみると、

 

 

「されて嫌なことは人にはしない」みたいな感じで、このカメムシ事件がすごく印象深い思い出になってるんですよね。

 

 

 

 

話は飛びまして高校生の時、休み時間だったか放課後だったか、ジュースを買いにカフェテリアに行きました。

 

 

すると、クラスメイト達が数人いて、なんだか慌ててるような感じでわちゃわちゃやってたんです。

 

 

どうかした?と声をかけてみると、

 

 

ある友達の頭の上に、ちょうど鳥のフンが落ちてきちゃったらしくて、(凄い確率)

 

 

 

でも、頭の上って見えないじゃないですか。

 

 

だから、誰かにとって欲しくて「たすけてー!取ってー!」って他の子達の方に頭を向けるんですけど、

 

でもみんな「汚い〜」って離れていっちゃってて、それでわちゃわちゃしてたみたいでした。

 

 

 

その時に、「これって小学生の時の私と同じ状況だな」ってすぐに思いました。

 

 

鳥のフンを取れなかった友達を否定するつもりはなくて、触りたくない気持ちもめちゃくちゃ分かるし、3人くらいその場にいたら「誰かが取ってくれるだろうな」って思う気持ちはめちゃくちゃわかるんです。

 

 

だから、私が最初からその場にいたら私も取らなかったかもしれないし、(傍観者効果的なね)

 

 

 

でもこの時の私は客観的な立場だったので、鳥のフンが頭についた子とカメムシがついた小学生の私が重なって見えました。

 

 

 

なので、私が頭についたフンを手洗い場で取ったのですが、

 

 

 

 

その子の気持ちを察するとすごく落ち込みました。

 

 

 

 

でも、他人の行動意識はどうすることもできないし、その立場にならないと気持ちを察することはなかなか難しいと私は思っているので、

 

 

分かっている私だけでも、逃げる側にならないようにしないとなって、思ってるんです。

 

 

孤独にさせたくないというか。

 

 

 

でも、やっぱり汚いものがついてる時にサッと取るってなかなかできないと思うんですよ、だから、出来なかった人を否定はしたくなくて、本当に。

 

 

 

 

でも、されて嫌だったことは自分もしないでいたいよね。

 

 

気持ちが分かっている以上、やっぱり同じ状況を繰り返したくないし。

 

 

もちろん、常に意識が向いてるわけじゃないから、無意識にひどいことをしてる可能性は私にもあって、だからこんな綺麗事を言ってるのは申し訳ないんやけど。

 

 

と、保険をかけておく。

 

 

 

 

 

ばいばい

 

 

 

オバケなんてない

 

みなさん、好きなゲーム機はなんですか。

私はプレステ2です。こんばんは。

 

 

 

 

死ぬのってこわいじゃないですか。

 

 

え、でもなんでこわいんだろ。

 

 

私は多分、死んだら「意識がなくなる」「無になる」「何も思わなくなる」のがこわいんじゃないかなと思ってるんですよね、

 

 

 

だから、どんな宗教にも「死後の世界」に対する考え方があるんだと思うんです。

だって宗教って私達の不安を救済してくれる存在(私達が幸せになるためにある)だから。

 

こわいけど死からは逃れることが出来ないから、死を受け入れるしかないから、せめてこわくないと仮定して死を受け入れるんだと思う。

 

 

 

だって、どの宗教でもまるで「死後も各々意識がある」前提で話すじゃないですか。

それが「なぜ死を怖いと思うのか」の答えな気がする。裏を返すと的な。

 

 

 

 

 

 

話変わるけど、年寄りがよく「わしゃもう十分生きた、いつ死んだっていい」って言うじゃないですか。

 

 

 

あれ絶対嘘ですよね。

 

 

だってその後にしっかりご飯食べますもん。

 

 

 

なんなら食後に薬とか飲むし。

 

 

 

 

 

本当は「いつ死んでもいい」なんて思ってないし、なんなら自分が死ぬのは遠い未来とか思ってるんですよ。

 

なんで年寄りはあんなこと言うんだろ、「いつ死んでもいい」とか、「死ね」とか「死にたい」とか、私そういうこと言うの大っ嫌い。

 

 

 

何十年も生きてきてそんなことを言うなんて、今世で何を学んだのか問いたい。

 

 

 

 

 

 

本当は死後の世界なんてないんだよ...私たちは、無意識になることを無意識のうちに恐れてるのよ。

 

 

 

今世に残してきた好きな人達を認識することも見守ることすらも出来なくなるのがこわいから、死後も意識があると仮定して安心してる。

 

 

 

 

 

はぁ。

 

 

 

病んできた。

 

 

 

病むけども、私は絶対に死にたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本が長寿国な理由はそこにあるのか...?

 

 

 

 

 

 

 

 

ばいばい